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おいらは汎用ポインタになれるのか?自分が普段やってることがいかに繁雑か理解するためのメモ

昭和元禄落語心中シーズン1·小夏の正体

Amazonプライムビデオで、昭和元禄落語心中シーズン1を観た。

 

おいらは沖縄でちんすこう屋を営んでいるのだが、製造中のBGMは落語を聞いていることが多い。

 

落語を覚えるためではない。落語から言葉づかいを学ぶためだ。それでも、落語の世界には引き込まれていく。

 

残念ながら沖縄では落語は盛んではない。工房がある村にもメンソーレという、噺家がいるが、話すことに必死で演じてはいない。

 

それでも、ばかうけするのだから、本人も不思議でたまらないだろうなと思う次第である。

 

起きてから寝るまで、四六時中ちんすこうのことを考えていてはいけないと思い、寝る前に、amazonビデオで、映画一本観て寝るようにしている。

 

そんなこんな状況の中、落語心中が目に止まり、BLのようなサムネイルに、1話だけでも見てみるか、っと見たが最後、13話全部見ちまった。

 

噺家というお仕事がよくわかる内容と、ちょっとドロッとした人間関係相関図にはまってしまった。

 

わりと短時間で観れたのは、噺の部分をすっ飛ばしているから。しっかりと噺の部分も作り込まれているのには感心するけど、イメージを押し付けてくる画像が邪魔で仕方がなかった。

 

ストーリーとしては、小夏って女の存在が気になった。

 

ネタバレ含むかもしれないので、ごめんなすってよ。原作も読んどらんので、思ったことを書く。なぜ、それを書きたくなったのかは、自分でもわからない。

 

小夏。この女、菊比古とみよ吉の子供だろう。 

 

小夏、その名は夏に生まれたからと初太郎は言う。春なら小春、秋なら小秋という風になる予定であった。

 

みよ吉と初太郎の初めての絡みは、花見の季節、そこから十月十日なら小冬という名になったであろう。

 

みよ吉と初太郎が、秋に仕込んだ子供かといえばそうでもない。

 

その花見の季節に、初太郎との絡みあい、みよ吉は「お腹の子」というからだ。

 

また、この「お腹の子」という言葉は、「私達の子」でもなければ「あなたの子」出ないのがポイントだろう。

 

そこに感じるのは、初太郎への愛の無さの表現と受け取った。

 

終盤、みよ吉は菊比古のことをずっと待っていたと告白する。嫌がらせというよりはあてつけというやつだったのだろう。

 

わかるなぁ、その気持ち。ある意味、初太郎と利害が一致したのかもしれない。初太郎も菊比古への嫉妬をつらつらとのべている。

 

ということで、小夏という名前の由来を初太郎が菊比古に話したこと自体が、お前の子供だよと告げたことになっていて、菊比古も当然理解したと思われる。

 

ちなみに、初太郎の子供は、与太郎である。鼻のマークがその証。それ以外の根拠は今のところ見当たらない。初太郎の場合は情婦との子供が何人かいる可能性が高い。与太郎はその一人と考えられる。

 

お千代と初太郎の子供でないことを祈るばかり。

 

展開としては、小夏が菊比古の子供という方が幅が広がる。

 

現代の落語は、古典あり、新作ありである。古典を擬人化したのが菊比古で、新作を擬似化したのが初太郎なのであれば、その志のバランスが需要となる。

 

古典だけの落語では、生き抜けないと落語と心中をはかる菊比古は、与太郎に初太郎という新作の影をみいだし、落語の生き残りをかける。

 

与太郎は期待に応え、新作で巻き返しを図り評価を得ると共に、古典の良さが見直される。

 

その流れに、小夏のお腹の中にいる子供が古典を追いかけ、与太郎と小夏の子供が新作を追いかける。

 

三代に渡る、落語復活のお話なのではないかと思うです。

 

あと、小夏は演劇の方へ進むのではないだろうか。初太郎の影響を多大に受けているので、落語への想いは強いだろうけど、菊比古の才を受け継いでいるのなら、三味線だとか、劇や舞などのほうが、進みやすい。

 

小夏の落語への想いは与太郎がしっかりと受け取ったいるだろうし。

 

以上、勝手に昭和元禄落語心中シーズン1以降を考えてみました。

 

おわり